SPACE OF 通勤電車
通勤電車にはメールをやっている人が多い。
そりゃ全然構わないんだけど、彼らの周囲への無防備さ加減は結構凄いモンがある。
彼らは携帯電話にむしゃぶりつくようにメールの受送信に余念が無い。
身体が支配するスペースはよっぽどのデブじゃなきゃ概ね同じなんだが、
視線を含めた身体以外のスペースはシェアして成立している。
ところがメールジャンキーたちはそうでもないらしい。
メールすることが逃避だというならそれもありかと思う。
けれど、俺の視界に自然に入ってきてしまう隣人の携帯画面には、
時として読んではいけない類のものが打ち込まれたり、表示されたりしている。
心の底では申し訳ないと思うが、勝手に視界に入るものをどうすることもできず、
かといって
「メール、見えちゃってますよ?」
なんつーのは愚の骨頂だろう。
変に勘違いされてしまえば駅長室から交番へ直行コースかもしれん。
漫画や雑誌、新聞をちょこっと盗み見るのとは、訳が違うのだ。
携帯画面が正面からしか見れないようにするシートを貼っておいてでもくれればまだいいが、
そんな人はめったにいない。
ひょっとしてシートを貼る行為自体、彼らは自意識過剰宣言だと感じているのだろうか。
自分が自意識過剰じゃないと否定する行為が他人に妙な気を使わせる。
でも彼らはそこんとこに気づいていない。
痴漢の疑いをかけられぬようにバンザイし、かつメールを偶然見てしまわないように下を向く。
何もしていない自分が実は一番気を使っていたりする。
好きなはずの曲も耳から脳みそに入る時にはすでに空回りし、
音の積み重ねを確認している作業に変貌する。
俺自身、こんな行為が不条理なのか自意識過剰なのかは分からない。
そんな、普段の生活なら簡単な判断すら鈍らせるほど他人と無言の、
無為のコミュニケーションを交わしながら、
金魚鉢に大量に放り込まれた金魚のように身体をこすり合わせながら、
マジカルミステリーツアートレインは今日も走る。