30minute

で書く適当

知らないよ

世間…つかネット界隈じゃ「情弱wwwwwww」なんていい方が流行ってる。

 

でもそれってホントかね?

 

情弱と嗤ってるキミの顔は歪んでいて、特定の何かについて知らない人を小馬鹿にするっちゅー、その行為自体がわりと大事な情報なのにざぶざぶじゃーじゃーザルのように漏れまくってることにはビタイチ気づかないんだね。

 

強い。弱い。弱い。強い。どっちでもいいよ。

勝ち負けでもない。こきったない獣道のどっかで、武器を拾った奴の指示に従うしかねんだから。

 

従わないってのも武器だしね。割と強力な。

 

刑務所や死刑、家族への誹謗中傷がなかったら躊躇ないだろ?

 

花火うるせえなぁ。

 

 

びびった

すごいびっくりしたね。前回のブログに星がついてたよ。

ありがとうございます。

とかちゃんとお礼言っとかないとね。挨拶は大事。

小学校で習ったし。

そんな年齢で習うってことは相当大事なことなんだろう。

 

そんでもってただいま夏真っ盛り。クソ暑いのでてーしゃつ作ってる。嘘。ちょっと応援してる℃-uteっちゅーアイドルがいるわけですが、オフィシャルのてーしゃつがダサいから自分たちで作っちゃおうぜって話。9月9日、10日で武道館ライブがあるからその記念に作っちゃう。

幸いイラレをいじれる知人がいたので鋭意作成中。

 

しかしいいねこーゆーの。

 

仕事絡まないで誰かと何かを作るってのは。すごくいい加減にできる。

くだらない慣習や決まり事に縛られなくて済むし。もともとそーゆーのはクソのように唾棄してるもんだから楽しくってしょーがない。

 

あと今日品川駅行った。みんなゾンビだった。こえーよ品川駅。

 

俺ビビりすぎ。

くだらないけどさぁ

雨は降るじゃん。

で地固まるみたいなこというけど、降りまくったらそれどころじゃなくて大惨事ですよマジで。

 

 

雨を降らせることが自分の意見を述べることだとしたら、それが地を固めるかどうかなんて誰にもわかりゃしないし、大惨事っつったって自分がそうなるだけの話。

 

 

まあまあ生きてかなきゃね。糞めんどくさいけど。

これでいいや

なんのかんの。

 

のらりくらり。

 

だらんぶらん。

 

ぐーすかぴーすか。

 

三年前のことを思い出そうとすると、二年前のことを思い出せないことに気付き、ならばと一年前のことを思い出そうとする。

それが半年、三ヶ月、一ヶ月、先週、一昨日、昨日、ついさっきになっていく。

 

医者に見てもらったわけではないけれど、たぶん痴呆じゃないはずで、はずだ、という断定ともいえないふわふわした感触を脳みそ両手で挟み感じいるばかり。

 

ついついの与太話を初めて披露するハメに自分で陥り、サゲさえも定かじゃないまま這々の体で逃げて隠れて息を潜めて丸三日。

別に蓋を閉めた訳じゃなかったけれど、及び腰で近寄り覗いてみればアラまあ、わりかし盛況のうちにフェードアウトできそうな予感がひしひしと。

 

待ちきれなかった幼児はよたよた走り、まるく張った足の裏で芝生を握り締めてコケて泣く。わめきもする。

 

似たようなテンポで夏本番が近づいてくる。

 

晴れ渡る空が水色なのはどうしてだろう。

 

なんてバカなことをウツラウツラ。右耳から左耳へと吹かせてやると、入道雲は名前のまま入道なんだけど、そんなに入道って大きかったのかと過去に名付け広めた人々の想像力に舌を巻きつつソファに伸ばした足を組み替える。

 

カーテンは、今日もはためく。

自分勝手

どれだけ一生懸命手伝っても、どれだけ相手をおもんぱかって行動してもそれに気づかない人はいる。

もとより優しさや思いやりという気持ちは天秤にかけるものではなく、ある側面から見れば一方的なものだ。せんずりなのかもしれない。

人は忘れやすく、自分の意見を通したいと常に思っている。

協力や譲歩することは学ぶことでしか得ることのできない技術である。

一般論を語っているつもりはないけれど、人は深くなればなるほど心の核心が見えてくる。

辛いような、情けないような、少し悲しいような。

とはいえ泣き事ばかり言ってられないので、一歩ずつ慎重に行かなくてはならない。

腹をくくったから大抵のことは大丈夫だと思うが、何らかの諍いが起きる可能性は今のところ、大きい。

生活を守らなくちゃ。

自分の生き方を全否定する相手とは戦うしかない。

面倒くさいこと

手紙だーメールだーと、ずっとずっと後回しにしてたことがあって、ようやくスタートラインに立つことに。
主張と主張を戦わせるのは嫌いじゃないけれど、正面切ってそれをやってくれる相手なのかどうかってのが一番大事。

議論にもならず、ひたすら逃げを打ちつつ、おかしな方向から攻めこまれても困るんだけど、実は“困る”状況にいる自分もこれまたいかんともダサい。

今週末、ないし来週にはあれやこれやと始まるんだろうなぁ。

バッタバッタとなぎ倒せるかどうか。いまのうちに刃を研いどかないとね。

どうせ斬り合うなら少しでも綺麗に切られたいし、切りたい。

とてもとても

何から書こうか迷ってしまうほどのことはないくらいのことがあった。


人を殺した。


という言い方はあまりにも端的だけど、通勤時にバイクで走っていたら人に飛び込まれ、その方が亡くなったんである。
自分も30メートルほど吹っ飛んで顔面から着地。


相手の方の死を知った時、もはや交通刑務所行きも免れないだろうと思っていたがとりあえず治療に専念。
脳内出血と顔面多発性骨折の治療に一ヶ月を要し、退院したのが去年の5月。


そうして警察や検察に出頭した際、自分に伝えられたのは


「事故現場付近に設置されたレコーダーを検証した結果、あなたに否はない。避けられない事故はある。したがって無罪放免」


ということだった。飛び込み自殺に遭遇した、そういうことらしい。
このとき人を殺めても罪にはならない場合もあることを初めて知った。


けれど。


だけれども。


なぜ人の死に加担しなければならなかったんだろう。
どうして自分だったんだろう?


このループを今もひたすら繰り返している。


「過去を振り返らずに前を見ろ」


ありがたいことにそう言って励ましてくれる家族や友人もいるが、なかなかそんな気持ちになれず、けれど日々を過ごしていくことで少しずつ消化している最中。時が進み、季節の移り変わりを感じながら生きるためのリハビリを続けている。


「なにがあっても強姦と人殺しだけはしてはならない」


自分の中にあった生きていくための柱というか、人としての規則を破ってしまったわけで、破戒を経てまた新しい自分を構築していく様子をゆっくりと眺めている。


ーー厄年だ云々書いていたけれど、やっと事故のことを書いてみる気になった。
ここまで一年。


もう少ししたら自分に区切りはつくんだろうか?


一生背負わなければならないことをやっと書けたこと。
そして本当に書きたいことはもうひとつあり、それはこのエントリを書く背中を押してくれた、ある出会いのこと。


いずれそれも書ける状態になるだろう。


いまはただ、ゆっくりとソファに沈み込んで日々を過ごすだけだ。


ご冥福を祈ります。


そして残されたご遺族の方たちに一日でも早く、幸せな日々が訪れますように。